旧カミクズヒロイ

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『バックラッシュ!』の感想 その2

バックラッシュ!』に載っている文章の中で、長谷川美子さんの「たかが名簿、されど名簿」が、やはり傑出していると思う。実践に基づく内容と、軽妙な文体がよく合致し、読みやすく、意思が伝わってくる文章だ。

それに比べると、ほかの文章には、推敲や語句に対する敏感さ等がまだ足りないと思われる部分があった。内容はどれもよいので、その表現形である文体を構築する能力をもっと鍛えると、よりよくなる。特に、年少の二人には、これからの上達に期待がかかります、とか言っておこ。

それで、若い執筆者が多いから、なんて書くともっともらしくなるかと思ったけど、最初の宮台インタビューとその次の斉藤さんのが一番読みづらいのでやめ。私のような本を奥付から読むような優良な読者には順序なんてどうでもいいけど、どんな本でも頭から読まなきゃいけないと思っているような善良な読者のためには、もう少し構成は考えた方がよかったと思う。

宮台さんは、口調は小難しくないのに、中に処理が詰め込まれた関数のような言葉を使うので、ずいぶん損をしている。宮台さんの言う「再帰性」という言い方が示すところの概念は、私はたぶん前から知っているけど、それを「再帰性」という言葉で表現されると、私にはわかりにくかった。そこにもってきて脚注が輪をかけてわかりにくい。

そこを、読書百遍なんとやらの精神で、読んでみるのはおもしろい。読んだついでに、宮台語をちょっと和和翻訳してみよう。冒頭のこの部分。

社会学のオーソドックスな枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の消去」だけど、ジェンダーフリー概念によって推奨されるべきは「社会的性別に関わる再帰性の自覚」であって、「ジェンダーフリーだから、ああしろ、こうしろ」という直接的メッセージは本来、出てきません。まあ、再帰性という概念を知らない人びとが──とりわけ後述するような不安な層が──立場を問わず騒いでいるだけの話ですね。

これは、下のような感じにすると、わかりやすいんじゃないかと。

社会学の普通の枠組みからいうと、ジェンダーフリーは、ジェンダーレスではありません。ジェンダーレスは「社会的性別の消去」だけど、ジェンダーフリー概念によって推奨されるべきは、「社会的性別は選択を経て常に再帰的に構築されるものであるということへの自覚」であって、「ジェンダーフリーだからああしろ、こうしろ」という、行動に対する直接の指示は、もともと出てきません。まあ、この再帰的な性質を察しない人たち──とりわけ後述するような不安な層が──立場を問わず騒いでいるだけの話ですね。

うーん、どうでしょう。宮台さんには通訳が貼り付いてればいいと思います。