『G.I.D.』について少々
私はこの『G.I.D.』という漫画は出版されている現物を見ていないので、本来評価する資格はないが、普段巡回する辺りで問題になっているし、当事者でない人間がこうした事柄をいかに扱いうるかということには興味があるので、少々まとめておきたいと思う。自分の資格の範囲を越えないように気を付けることにしよう。
まず、この問題についてはさとしの哲学書簡 ver2 の4月15日と3月26日の記事にきちんとした内容がまとめられているし、山本 蘭の活動日誌の3月30日と4月11日の記事や、Anno Job Log の関係記事とそのコメント欄でのやりとりも参考になる。整理すると次のような問題点があるようだ。
- 掲載誌の読者層を考えたときにふさわしくない描写がある。
- きちんと設定考証しているようでいながら実際には不十分である。
- ありえない否定的な描写がある。
といったところだろうか。
一般論的に言えば、漫画や小説を作るということは、意識の流れを平面に固着させるという作業であると思う。取材したり、体験、思考したことを、作品にするという意識に頭の中で変換する。その意識は複雑な立体的なものである。それを流し出して、平面に固着させていくわけだ。
立体以上に立体的な人間の意識を平面上にすべて書き出すことはできないから、その過程では圧縮や切り落としが発生する。それがうまくいけば作品としてまとまり、最高にうまく運んだときには傑作と呼ばれるようになる。しかし、それがうまくいかなければ作品にならずに構想倒れに終わるか、なんとかまとめたとしても瑕疵ができる。評判を聞く限りこの漫画はそういう作品だという感じがする。