旧カミクズヒロイ

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F1、その冷たさ、人情味、そして継続性

かつてアイルトン・セナがレース中の事故で死んだとき、そこには既にミハエル・シューマッハが居た。そのミハエル・シューマッハが昨季を限りに引退し、アロンソライコネンがどれほど優れたドライバーだとしても、今年の F1 はどれだけのものになるかと危ぶめば、新人ルイス・ハミルトンが鬼の様な走りを見せる。F1 は人が尽きない。

F1 はただ漫然と才能が出てくるのを待っているわけではない。F1 世界は現役ドライバーとともに最大限の仕事をする一方で、いつも次代の大物を探すことを忘れない。彼らは自分にも引退するときが来ることを、その時が約束されていることを忘れない。彼らは限界に対して冷徹だ。

15年も F1 の舞台で走り続けるやつが居る。その一方で、一年も走れないやつもいれば、成功しながら動機を失って引退するやつもいる。ドライバーだけじゃない。潤沢な資金を持って長く続くチームもあれば、スポンサーが付かずに消えていくチームもあり、資金があっても成功しないチームもあるし、割と少ない資金で成功するチームもある。

華やかな面が注目される F1 だが、その裏では多くの人たちが地味な作業を続けている。そして F1 は人間が居なければ存在しえないが、F1 世界は単なる人間の群れではない。F1 世界には F1 を続ける人間の意志を支える構造がある。

彼らは能力と時間が有限であると知っているからこそ最大限の輝きを放ち、時に人情をのぞかせる。それも自らの約束の時が同時に継承の時であると思えるからこそ彼らは冷徹でありながらほがらかだ。それを支える構造があるし、その影では構造を維持する努力と工夫が積み重ねられている。