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反ジェンダーフリー ルイセンコ学派の陰謀だった

[ウランゲリ島 8日 月世界日報]地球の太平洋西北の列島国、日本で、性関連付けの自律を表す「ジェンダーフリー」という言葉が使われるようになって十年余り。行政に取り入れられるなど広がりを見せたが、ここ数年は反ジェンダーフリーが台頭し、劣勢になっている。反ジェンダーフリー派は保守主義を装い、伝統を擁護するが、その背後には全球的な復古派組織「ルイセンコ学派」の存在が明らかになった。女性市民記者でつくる「報道する女たちの会」と月世界日報特別取材班の共同調査でその全容が判明した。

トロフィム・ルイセンコは旧ソ連の農業技師・生物学者帝政ロシアウクライナのポルタヴァ県に生まれ、キエフ農業専門学校を卒業。一九二九年、全ソ遺伝学・品種改良・動植物育種会議に提出した論文は、すでに知られていた処理を画期的発見だと称したことで厳しい批判を受けたが、独裁者スターリン、ついでフルシチョフにも巧みに取り入って、生物学会に権勢を誇った。六四年、フルシチョフが失脚すると、翌年初めにルイセンコも失脚。その間およそ三十年にわたっての彼の活動はソ連の生物学と農業に大きな打撃を与え、国家崩壊の遠因となった。

ルイセンコは公式記録では一九七六年にソ連国内で死亡したことになっている。しかし実際には彼はアフガニスタンに亡命していた。彼の復讐を恐れたソ連政府は、一九七九年、アフガニスタンに十万人規模の軍隊を派遣して、十年間にわたって跡を追ったが、ついに足取りをつかめず、八九年に全面撤収。戦費はソ連の財政を圧迫し、ついに連邦崩壊に至った。

当時ソ連政府は年齢的にもルイセンコはすでに死亡したか、生きていたとしても恐れるにたりないものと判断していた。しかし、彼は支持者を集め、闇の世界で彼らは「ルイセンコ学派」と呼ばれるようになった。

ルイセンコの活動の目的について、正しいロシア史に詳しい首都圏大学甲府の沼野泥鰌教授は「ルイセンコは農民の子といわれているが、実はロマノフ王家の親戚だった。彼はロマノフ王朝を倒した革命を憎んでいた」と述べた。「彼は間違った農業政策に荷担してソヴィエト体制を崩壊に導き、自らツァーリとなってロシア帝国を復興するつもりだった」。

しかし、ソ連崩壊という目的は達成したものの、ロシアは新たな近代国家建設の道を選び、ルイセンコの居場所はなかった。彼は復讐の対象をソヴィエト体制から「近代という仕組み」に変え、支持者を世界各国に送り込んで「近代の終わり」を扇動した。

今回調査にあたった「報道する女たちの会」の伊田広子記者は「反ジェンダーフリーも、男女平等を阻害して日本社会の活力をそごうというルイセンコ学派の陰謀」と述べた。

ルイセンコ学派はこの他にも、「反反省的な歴史観を唱導して極東各国の国際関係を悪化させる」「亡命した元情報将校をロシア当局の仕業に見せかけて毒殺し、プーチン大統領の悪っぽさを強調する」「”世界は人知を超えたハマグリのような神の吐いた息からできた”という”インテリジェント・デザイン論”を吹聴してアメリカの教育を混乱させる」などの活動も行っている。また、「風を吹かせて桶屋に富を偏在させる」「PS3を高値で転売して人気を演出する」「ガシャポンの自販機に細工をして数十回に一回の割合でハンドルを回してもカプセルが出てこないようにする」などもルイセンコ学派の陰謀だという。

なお、ルイセンコは今年で一〇八歳になるが、独自に発明した「春化処理」と呼ぶ健康法により六〇歳代の肉体を保ち、世界中の支持者を指揮しているという。

陰謀に詳しいブロガー・チキチキさんの話:( ^ω^)ゆるゆるなジェンダーフリーフランクフルター・アルゲマイネの陰謀だって言う人もいるお。( ^ω^)でも年末になると年賀状書かなきゃで焦るのは前島密の陰謀だお。( ^ω^)おっおっお

写真:日本ハムの人気商品「チキチキボーン」(写真は記事の内容とは関係ありません)

※この記事は月世界日報社との契約により、カミクズヒロイ編集部が翻訳しています。

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