旧カミクズヒロイ

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『バックラッシュ!』を読みながら考えたこと

バックラッシュ!』、ひとまず読了。水分の少ないがっしりした豆腐を喫したような読感。

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

バックラッシュ! なぜジェンダーフリーは叩かれたのか?

さて、私がジェンダーフリーという言葉を初めて聞いたのはいつだったかはわからない。しかし、意識に上るようになったのはほんの去年のことだった。「男女平等」への不安から「ジェンダーフリー」に期待するという局部が入り口だった。

また一方で、私はもとよりフリーソフトウェアのファンだったので、フリーソフトウェアとの類推で「ジェンダーフリー」をとらえたという面もある。フリーソフトウェアという理念を説明するときには、よく「free とは free speech の free であって、free beer の free ではない」という言い方が使われる。(参考:フリーソフトウェアの定義

また、フリーソフトウェアに似た「フリーウェア」や、「このプログラムはフリーです」といった言い方が、しばしばプロプライエタリなソフトウェアベンダーの側から使われることがある。これらは、単に「ダウンロードして使うのだけは自由」、あるいは「無料」ということであり、フリーソフトウェアの「自由」とは意味が違っている。こうした「ややこしい」言い方をすることでフリーソフトウェアの理念をかすませようという意図が見える。

私は、はじめ「ジェンダーフリーバックラッシュ」を、この「フリーソフトウェアプロプライエタリなフリーウェア」の図式に当てはめて解釈しようと試みた。だがこれは間違いだった。「ジェンダーフリー」にはリチャード・ストールマンも居なければ、GNU GPL もない。それがわかったのは、『ジェンダーフリーとは』に代表される Web 上のリソースや、この『バックラッシュ!』に得るところが大きい。

言葉について考えるなら、語句は解釈され、共有されることによって機能する。語句が、言い出した人の定義と違って受け止められても、すぐに間違いだとは言わない方がいい。そこが対話の始まりだ。ある語句が、ある言語圏から、別の言語圏に移入されたとき、その言語圏の用語の網の中で再定義されることも、必然であり、古代から行われてきたことでもある。語弊をおそれずに言えば、どんな言葉でも、「好きに使えばいい」、それがどんな会話を生むかが重要だ。

いま、「ジェンダーフリー」はヤブヘビにとってキュートな餌になっているようだ。もし、「ジェンダーフリー」が「フリーソフトウェア」のような強力な理念だったら、ヤブヘビをおびき寄せて首を出したところを刈るようなことができたかもしれないが、実際にはそうはなっていない。鎌もないのにヤブヘビに餌を撒いてもしかたがない。

だからといって、男女平等だけで十分だとは思わない。もちろんそうだ。特例法を作ったり、法律上の同性婚を認めるだけで、全てが片付くわけはない。それらの課題──「男女」も含めて──へは、性にまつわることへの包括的なやり方も必要だろうし、それぞれの内容に違いはあっても、社会的にはある共通の一面に接しているのだと思う。

基本的なことを言おう。「男女平等」や「ジェンダー平等」などといっても、それらは「法の前の平等」がそれぞれの局面に対応するために「変化した、仮の姿」にすぎない。同様に、「女性の権利」や「ジェンダーライツ」などといっても、それらは「人権」の権化だろう。それぞれは「変化した、仮の姿」だとすれば、それぞれの理念が有効な場面ではそれを用い、無効な時勢には、それを用いなくても、その実を守ることはできる。「ジェンダーフリー」もそれが有効な時があれば使えばよい。足りない言葉があれば作ればいい。論は水を象る。論に常形はない。形勢に窮まり無く応じ、よく敵に因って変化して実を取るならば、それを真と謂う。察しなくてはならない。

それで、『バックラッシュ!』にはもう少しセクシャルマイノリティの視点からの文章があればなおよかったと思う。

言い添えれば、性的少数派の課題への取り組みには、「男女平等」との戦略的な連帯も必要だと思う。あえて比べるなら、女性は「社会的に無勢(だが絶対的には半数)」なのに対して、性的少数派は「絶対的に無勢」である。だから、性的少数派の権利の確保には、「少数派の権利を守ることは、平等を保全することであり、全社会の一般利益を守ること(みんな得)である」という考え方の必要性が高い。

そうしたことから、これからのために、Sex/Sexuality and Gender についての話題をまとめて扱うスラッシュドットのような場があった方がよくはないか、少なくとも検討してみる価値はあると思う。そう、そういうことを考えていて、とりあえず自分ひとりでできることだけはやってみようと思って、このブログを立ち上げたという経緯があったんだった。