「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」からの思考経路
いつきの不定期日記さんとこの5月26日付のエントリ『情けなくってもいいじゃない…』が興味深かったので、感想文。
学生さんの見解
に対して。
学生さんの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「(平たく言うなら、)その人たちを守ることが愛国心」→「守るためには国を守る必要がある」→「国を守るためにはパワーが必要」→「だから軍隊も必要だし、徴兵制もやむを得ない」
Kodakana の見解とつっこみ。
- 自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切
- その人たちを守ることは、単に個人的な愛の実行であって、愛国心とは関係しない
- 生存権は主権者にあるのであって、国家にあるのではない
- 主権者の生存権を守るためには、民主主義を保全すること
- 軍隊的な秩序は民主主義的な秩序と相容れないので、軍隊も徴兵制も不要
平和を守るためにもっとも効果的なのは、民主主義的な秩序を整えること。軍隊的な秩序は、寡頭・統制的で、また、戦術レベルでは目先の危険をつぶすことに力を注ぐため、しばしば場当たり的である。戦争状態ともなれば、軍隊的な秩序が一般社会を支配し、それ自体が危険を増大させることになる。あの9月11日の光景は、軍事力で偽造した平和の正体であり、贋作平和の危険性そのものではなかったのか。平和とは安心と約束の連帯によってのみ保たれるものだろう。
いつきさんの見解に対して。
わたしの見解
「自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切」→「それを愛国心というなら愛国心というのかもしれないけど、別にそんな名前をつけなくてもいいやんか」→「別に国家がなくなっても、家族や友だちとの関係が変わるとは思えないし、国家を守るために命を落とすなら、それは本末転倒」→「ところで、現在の国家間のパワーバランスを考えると、いきなりひとつの国が他の国をかつてのような植民地化をするということは考えられない」→「てことは、別に「勝たなきゃ」と思う必要はないやんか」→「負けてもええやん、情けなくてもええやん」
あいのて。
- 自分のまわりにいる家族や友だちは、やっぱり大切。うん。
- 愛国心っていうのは、なまこのようなことばですね。
- 国家は建て替えができる。必要なら建て替えればいいし、それは日本史上でも繰り返されてきたことだ。
- 費用対効果の問題もある。侵略したところで結局何を得られかすでに経験しているし。
- ふむ。
- 勝とうと思う必要がないなら、負けてもいいと思う必要もないのでは。そもそも勝つ必要がないと思えるなら、勝ち負けという考え方を必要としない位置に移れると思うのに、
負けてもええやん、情けなくてもええやん
という位置に留まるようなことをなぜ言うのか、よくわからない。負けてもいいは勝ってもいいとほぼ同義なので、それなら勝った方がいいと反論されておしまいになってしまうのではないか。
まぁ、愛国心! と叫んで日本人が肺病やみのような咳
でもするようにならなきゃいいが。今年は独逸で大和魂の芝居
があるのかな。